ホアロー収容所、フランス名 Maison Centrale は、ベトナムでの植民地拡大において重要な役割を果たしました。多くのベトナム人が政治犯として捕らえられ、拷問の末に命を失った場所です。後のベトナム戦争時には、北ベトナム軍がアメリカ兵捕虜の収容所として利用。
収容所は、フランスの植民地統治下にあった 19 世紀に建造されました。今では色褪せた黄色いファサードと緑のよろい戸は、壁の向こう側に投獄された人々が味わった恐怖をおおい隠しています。ベトナム独立革命を指揮した多くの人々がここに収容されました。例えば、いずれも後にベトナム共産党書記長となった、ドー ムオイ、グエン ヴァン ク、チュオン チン、レ デュアン、グエン ヴァン リンの 5名。アメリカ上院議員ジョン マケインは、軍のパイロットを務めていたベトナム戦争時に捕虜となり、5 年間収容されました。ここで6 年間にわたる捕虜生活を送ったダグラス ピーターソンは、1997 年、ベトナム戦争後初の駐ベトナム大使となりました。
1.8 メートル × 1.8メートル (6 フィート × 6 フィート)の小さな監房。囚人たちが眠ったベッドのフレームや藁のマットをご覧ください。窓のよろい戸が閉ざされたままだった収容所は、常に囚人たちでいっぱいでした。1961 年当時、収容可能人数 600 名のところ、実際には最大 730 名もの囚人が何日間もここに閉じ込められていたのです。1933 年になる頃には、囚人数は 1,430 名にも増加。1954 年には 2,000 名超まで膨れ上がりました。
恐ろしい足かせや、その他の器具、写真をご覧ください。木製の首かせをかけられ、膝まづいた格好で足をつながれ、身動きできないベトナム人たちの写真もあります。囚人たちは毎日のように、飢えや、拷問、暴力そして孤独に苦しみ続けました。「死ぬことは簡単だが、生きることは困難だ」という、ある看守の言葉も添えられています。
ベトナム戦争時、アメリカ兵たちは収容所に、皮肉を込めて「ハノイ ヒルトン」というニックネームを付けました。囚人たちが力を維持するために使った、バレーボールのネットも残っています。ジョン マケインに関する展示品のみを扱うエリアもあります。
博物館内の情報は、ベトナム語と英語のみとなります。ホアロー収容所博物館は、フランス租界の近くにあります。交通手段は、タクシーをお勧めします。博物館は毎日、朝から午後まで開館していますが、昼食の時間は一時閉鎖となります。見学には、入館料がかかります。