今日は年間約3000万人近くもの国内外の観光客が訪れる浅草寺。推古36年(628年)にとある漁師が聖観世菩音薩像を見つけ、それを川に戻さずに拝したのが始まりといわれています。その後の645年に聖観世菩音薩像を安置し、守るために建物が建てられたとされています。
そんな成り立ちがある浅草寺の総門は、浅草を象徴する雷門。正式名称は「風雷神門」といいます。地元の人にいわせてみると、浅草花やしきより新しいとのこと。それもそのはず、幾度の火災などによって焼失した末、現在のものは、昭和35年(1960年)に松下幸之助の寄進により造られたものなのです。幅3.3m、高さ3.9m、重さ700kgの提灯の下の部分に「松下電器」と書かれています。
総門をくぐると、本堂へ向かう仲見世通りがあります。250mほどの長さですが、左右に土産物やから各種飲食店が並ぶ日本最古の商店街の一つです。観光客が絶えず行き来していますので飲み物や食べ物を買った時は、購入した店の前で食べるのがマナーです。
仲見世通りは宝蔵門(現在のものは昭和39年、1964年に再建)まで続いています。かつては仁王門と呼ばれていました。その名の通り、正面の左右に仁王像が安置されています。
宝蔵門を抜けてさらに奥へ行くと、本堂があります。元は慶安2年(1649年)に徳川3代目将軍家光が建立。しかし、後の火災や天災で焼失。現在建つものは、昭和33年(1958年)に再建されました。中には聖観世菩音薩像や慈覚大師によって造られたお前立ご本尊などが奉安されています。手前には常香炉があり、その煙を体の悪い所へかけると良くなると言われています。訪れる人は、同じ悩みを抱えている人が多いのか頭にかける人が多いかもしれません。
浅草寺では朱色の五重の塔も必見です。高さ48mの塔は、天慶5年(942年)に平安時代の武将、平公雅が建立したとの説があります。敷地内の他の建造物同様に、現在の五重の塔も戦後の昭和48年(1973年)に再建されたものです。
毎月19日の馬頭観音の緑日や5月のお祭り、三社祭に真夏に開催される浅草サンバカーニバルと様々なイベントやお祭りが開催される浅草。東京の歴史あるお寺で下町ならではの活気と江戸風情をお楽しみください。