オーストリア帝国の威信をかけたミラマーレ城は、アドリア海のトリエステ湾に面したグリニャーノの岬、イタリアで最も北東に位置する都市トリエステの北西約8kmにあります。オーストリア皇帝マクシミリアン・ド・ハプスブルク(オーストリア大公、後のメキシコ皇帝)は、1856年から1860年にかけて、ウィーンの建築家カール・ユンカーに居住用宮殿の建設を依頼しました。
ミラマーレは22ヘクタール(54エーカー)の海辺の公園に囲まれており、印象的な様々な植物が特徴的です。公園内には小さな城(“castelletto“)があり、主城の建設中は夫妻の住居として使用され、後にメキシコで夫を殺害した後、精神病を患っていたと言われるカルロータの「牢獄」となりました。
ミラマーレは後にアメデオ・ダ・アオスタ公爵の居城となり、1931年からエチオピア総督の指名を受ける1937年までこの城に住んでいました。オルレアンの妻アンナと娘のマルゲリータとマリア・クリスティーナは、1943年初頭まで、中断はあったものの、そこに住み続けました。彼らが城に滞在している間、1階の部屋の一部は当時の様式に倣って改修され、電気、エレベーター2基、ネオン照明システム、水道、電話回線、セントラルヒーティングなど、近代化が進みました。
城の見学では、マクシミリアンとベルギー王妃カルロタの居室、来賓の部屋、城と公園が建設された経緯を語る部屋、アメデオ・ダ・アオスタ公爵の居室(1930年代の合理主義様式の家具が置かれています)などを見学することができます。カルロータがピアノを弾いていた音楽室(7号室)、ミラマーレの物語を描いたチェーザレ・デッラクアの一連の絵画(19号室)、そして最近修復されたばかりの玉座の間にもご注目ください。
この美しい公園では、ベルリンの有名な彫刻事務所モーリッツ・ガイスによる重要な装飾彫刻コレクションなど、さまざまな景観要素とともに、非常に興味深い植物散策を楽しむことができます。また、厩舎を見学することもできます。最近修復された建物は、現在、企画展や展示会に使用されています。